三ケ新の道標

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(2017:08:21 08:37:34, SONY α7R II, F10.0, 1/125, ISO:200, 24mm, 24-70mm F2.8(SEL2470GM), 撮影地, 潮位)

射水市指定文化財(史跡)

三ケ新の道標

指定年月日:昭和49年(1974年)1月

この場所は、氷見・伏木から放生津を経て海老江・四方に至る古くからの浜往来(浜街道・浜道)と、高岡方面からの往来が合流していた三叉路にあたります。
明治35年(1902年)から始まった新庄川の開削工事により、西の六渡寺と分断されるまでは、追分の辻と呼ばれ、茶屋や旅宿がありました。
道標は、安政六年(1859年)に建てられ、北側には、建立年と往来安全を刻み、東側は「右 能登」「左 京」という遠方とあわせて氷見・金沢・高岡といった近郊を案内しています。南側は、当時流行の元禄袖から伸びた手が、遠く「越後出羽道」を指差しています。
石材には、弁財船(北前船)によって、 遠く瀬戸内沿岸から運ばれてきた花崗岩が用いられています。
「元禄2年(1689年)には、俳人松尾芭蕉、享和3年(1803年)には、海岸線測量途中の伊能忠敬がここを通過しており、三叉路が無くなった現在でも、路傍に遺された道標が街道の歴史を伝えています。

射水市教育委員会





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