旧猪名川緑地の記事

(2015:03:30 13:46:06, NIKON D810, F8.0, 1/250, 0, ISO:64, 20 mm, AF-S Nikkor 20mm f/1.8G, 撮影地, 潮位, 月齢:9.7, 若潮)
金毘羅大権現常夜燈
この場所は、旧庄本村集落の西を南北に流れる猪名川(旧猪名川)堤防と村の中心を東西に通じる道の交差する位置にあります。
この未知は、東は島江、牛立を通って小曽根から吹田方面、西は戸ノ内、神埼を通って尼崎市に通じていました。古代はなんばから有馬温泉への道、中世にあっては「津戸の中道」として、砂州伝いに西宮より吹田に通じる道として利用されました。江戸時代になって京に通じるところから「京街道」と呼ぶようになりました。橋がない時には庄本村と戸ノ内村の間に「渡し船」が人々の足になりました。
江戸時代に入ってからこの川は物流に利用されました。池田、伊丹の酒、周辺村々の年貢米等をここで積み替えて大坂等へ送りました。
ここはまた「三田屋の浜」ともいわれ、付近には船問屋がありました。
川から水を引く上流の村々との軋轢、池田、伊丹の馬借や神埼の問屋と強豪しつつも随分繁盛したようです。
ここにある灯籠は弘化4年(1847年)の年号と重次郎他2名の人の名が記されています。この川の「渡し」を示す目印、あるいは渡しの安全を祈願したものか、猪名川通船の安全を祈願したものなのか今では判然としません。
猪名川通船も渡しは今はなく、川には平安時代よりこの地域の呼称であった「椋橋庄」に因んだ「椋橋」という名の橋が架けられ、新猪名川が開削されたことにより排水路となり、川の役割も変わりました。
椋橋の傍らに建つこの灯籠は、かつて身近に水との暮らしがあったことを残す数少ないこの地域の歴史遺産です。
本文作成者:森本吉道、菅原敏二
平成19年3月末日
庄本自治連合会
会長 中川捨松
世話人一同