(2015:10:18 15:59:48, NIKON D810, F11.0, 1/60, 0, ISO:12800, 20 mm, AF-S Nikkor 20mm f/1.8G, 撮影地, 潮位, 月齢:5.1, 中潮)
京は遠ても十八里
若狭から京へ・・・いくつもの鯖街道
若狭街道
若狭から京都へ至る多数の街道や峠道には、本来それぞれ固有の呼び名がありますが、近年、運ばれた物資の中で「鯖」が特に注目され有名になったことから、これらの道を総称して「鯖街道」と呼ぶようになりました。
その内、最も盛んに利用された道は、小浜から上中町の熊川を経由して滋賀県の朽木村を通り、京都の出町柳に至る「若狭街道」です。これ以外にも、多くの道がありますが、小浜から熊川を経由し滋賀県の今津に至る「九里半越え」も古代からの歴史があり西近江路につながら重要な道です。
さらに京都と小浜の間の多数の峠を越えて「鞍馬街道」に至る道や、小浜から名田庄村の堀越峠などを越えて京都市高尾につながる「周山街道」、美浜町新庄から滋賀県マキノ町へ抜ける「粟柄越え」も重要な街道のひとつです。
若狭から運ばれた鯖が京の都に着く頃には、ちょうどよい塩加減になったと言われ、京都の食文化の中に、今も若狭の魚が生きています。なお、若狭の鯖は遠く兵庫県の篠山までも運ばれていました。
江戸初期から明治初期までの小浜魚市場の記録である「市場仲買文書」は、海産物の仲買仲間の持廻りの帳簿です。この中には、仲間の「定」を始め、若狭街道や九里半街道を経由する輸送にかかわること、宿場町熊川との交渉や、馬借(馬による運送業者)のことなどが詳しく記されています。また「生鯖塩して荷い、生き仕る」という記事も見られます。大阪から京へ来る魚と競争になるため「近年は時刻を考えて、時々は夜通しにでも運んだ」ことや、小浜の刺鯖、鱒鯖などが今津で船に積まれ、大津その他へ送られたことも書かれています。
なお、高浜の魚荷は丹波を通って京都の店や問屋へ売りさばかれていましたが、雪の時は小浜から熊川を通り京へ運ばれていた記録もあり、極めて重要です。
針畑越
根来坂(針畑越)
小浜市遠敷から朽木村小入谷へ越える峠道を「針畑越え」と呼びますが、若狭から都への「一番古いサバの道」と考えられています。この街道も歴史が古く、遠敷に至る沿線には白石や鵜の瀬があり、お水送りで有名な神宮寺、遠敷明神と呼ばれる一宮若狭彦神社・若狭姫神社があります。中世には若狭姫神社の神前に市場が立った記録が見られ、徳川家康もこの峠を越えています。小浜ではよく「京は遠ても十八里」と言われますが、この峠道は京都へ至る最短路として極めて重要です。