成ヶ島の記事

(2011:12:11 08:23:58, NIKON D3100, F9.0, 1/200, 0, ISO:200, 62 mm(換算93 mm), 16.0-85 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 潮位, 月齢:15.9, 大潮)
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201112淡路島
毘沙門天堂改築記念碑
今井宇三郎 選
平野安夫 書
伝へ聞く、文政5年(1822年)の春、この浦の海岸に漂着せし毘沙門天を由良の漁師平三郎なる者拾い上げて成山南麓のこの地に御堂を建てて安置し祀りしものなりと。●来160年余年、その間、木造の御堂なれば度々修繕改築のことありしなるべし。近くは昭和25年、多年の風雨に曝され度々の台風禍により、御堂は言うに及ばず、もったいなくも御本尊に至るまで大破し、修繕不可能の状態となりて近年に及べり。今春、役員有志相集まり改築寄進のことを決議し、発起人、世話人、一丸となりて寄進のことに奔走せり●来7ヶ月を経て秋11月に至り、予想以上の御賛同を得て立派に改築の業を了へたり。●に改めて御堂の地鎮祭を行い御本尊を高野山より招請して、落慶の法要を営むに至る。是れ偏に由良の漁業に従事せる方々及び有志、約300名の信仰心の賜物にして、故人平三郎の志を継ぐものなり。●に改築に至りし次第を記し永々後世に伝えんことを希うものなり。
昭和62年(1987年)丁卯11月吉日
発起人世話人一同
右代表 樫本寛

(2011:12:11 08:35:24, NIKON D3100, F8.0, 1/250, 0, ISO:200, 16 mm(換算24 mm), 16.0-85 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 潮位, 月齢:15.9, 大潮)
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201112淡路島
成山からの風景概要
瀬戸内海の「瀬戸」という言葉は、狭い門という意味の「狭門」の変化したものとの説があります。陸地と陸地の間に海が挟まれた海峡という意味です。
瀬戸内海国立公園は、静かな海面、点在する多くの島々、白砂青松の浜、段々畑など自然と人間の営みが一体となった多島海景観として、昭和9年にわが国最初の国立公園として誕生しました。
ここ成ヶ島と、目の前に浮かぶ友ヶ島、その向こうに横たわる加太の間にも、3つの瀬戸が形成されています。成ヶ島と友ヶ島の間にある由良瀬戸では、速いときで時速6.5kmの潮流が観測されます。
下の海図のとおり、最も深い由良瀬戸は深さ197メートルありますが、加太瀬戸は65メートル、中ノ瀬戸は118メートルです。このことから、海面が低かった大昔、加太と友ヶ島は陸続きであったと考えられます。
環境省

(2011:12:11 08:36:27, NIKON D3100, F8.0, 1/250, 0, ISO:200, 16 mm(換算24 mm), 16.0-85 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 潮位, 月齢:15.9, 大潮)
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201112淡路島
成ヶ島の地形概要
成ヶ島は、紀淡海峡に面した淡路島本島の沖合約1kmに位置し、南北に約2.5kmの細長い形状をしています。現在地である北端の成山(49.2メートル)と南端の小丘高崎(17.9メートル)との間は標高約2~3メートルの陸繋砂州(トンボロ)で結ばれています。これは、淡路島本島の南側に続く灘海岸から沿岸流により砂礫の供給を受けて形成されたもので、このように大規模な陸繋砂州は非常に珍しいものです。
成ヶ島は過去に淡路島本島と陸続きになっていましたが、後の時代になり人工的に北の新川口を成山と淡路島本島の間に開くことで、天然の良港として洲本市由良地区が栄えてきました。
環境省
紀淡海峡
六本松台場跡
高崎砲台跡
今川口
大阪砲兵工廠由良試験場跡
生石山砲台跡

(2011:12:11 08:39:10, NIKON D3100, F7.1, 1/200, 0, ISO:200, 16 mm(換算24 mm), 16.0-85 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 潮位, 月齢:15.9, 大潮)
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201112淡路島
成山と周辺の歴史概要
慶長18年(1613年)、姫路城主池田輝政の三男池田忠雄は成山に由良城を築き、淡路国支配を行いました。その後、淡路は元和元年(1615年)に阿波藩領(蜂須賀家)となりますが、寛永8~12年(1631~1635年)に城郭を洲本へ移城(由良引け)するまで、由良の地は淡路の中心として維持されました。
幕末になると由良には異国船警備のために高崎台場や六本松台場が築かれ再び軍事施設が置かれました。さらに、紀淡海峡を臨む由良の重要性は近代化を進める明治政府にも引き継がれ、成山や生石山・高崎(台場跡地を利用)に砲台が築かれ、海峡を封鎖する「由良要塞」が構築されました。日露戦争が開戦となった明治37年(1904年)、由良要塞に据えられた28糎榴弾砲が旅順(現在の大連)に送られ、旅順要塞陥落に役立った話は有名です。
公園の南端にある展望台は成山砲台に設置された観測所の跡です。中央の円形の場所で敵船に向って砲撃するための観測や指揮が行われました。周囲に厚くコンクリートが塗られているのがわかります。あmた、この公園の整備に伴う発掘調査が平成17年度に行われ、芝生広場への階段を降りた周辺に砲台跡が見つかっています。
由良地区の砲台・補助施設
・生石山砲台
・成山砲台
・高崎砲台
・由良演習砲台
・赤松山堡塁
・伊張山堡塁
・小佐毘弾薬本庫
・由良要塞司令部
環境省