乙姫大明神の記事

(2017:04:14 09:48:59, NIKON D810, F8.0, 1/125, ISO:1800, 20mm, AF-S Nikkor 20mm f/1.8G, 撮影地, 潮位, 月齢:17.0, 中潮)
乙姫大明神縁起
この地はかつての摂津と播磨との国境に位置し、戦国時代には下端城があった砦跡に現在の下畑海神社が建つなどその歴史は古い。
また、この「乙姫大明神」は今から約800年以上前の承安年間(1171年~1175年)、福原京に遷都を果たした平清盛の建立と伝えられている。
日宋貿易の拠点として大輪田の泊の整備に情熱を燃やした平清盛は、とりわけ海へのあこがれが強かったことからこの地にあった我が国の象徴ともいえる「さざれ石」をご神体として、また祭神に豊玉姫神を祀り、大陸に向かう船が無事渡海を果たせるよう「乙姫大明神」と名付けたに違いない。今もこの社に植生する樹木は、巨大な「さざれ石」に根を剥きだしながらも当時の平清盛の力を誇示するかの如く力強く根を張っている。
また1184年(寿永3年)の「一の谷の合戦」で「下畑村」は一躍その名を世に知られるところとなる。文献「西摂大観」によると源義経率いる軍勢が、三草山の戦いに勝利し、塩屋にあった西の木戸口に向けてともに軍を進めてきた熊谷直美とこの地付近で別れ、鉄拐山への山道へと踏み入り、やがて平家の一の谷の陣屋が望める「鉄拐ヶ峯」に到着したと書かれている。
この「乙姫大明神」の前の細道は、以前、鉄拐山に登るにはもっとも近道であったことから、村の住民もこの道を経て須磨に向かったが、おそらく源義経軍もこの道を辿ったものと考えられる。しかし今ではこの道は、新しい住宅地への進入路となってしまったことから残念ながらその先で途絶えている。
下畑町会
平成23年10月建立

(2017:04:14 09:49:29, NIKON D810, F8.0, 1/125, ISO:2800, 20mm, AF-S Nikkor 20mm f/1.8G, 撮影地, 潮位, 月齢:17.0, 中潮)
下畑大歳神社由緒
鳥居をくぐると、右に生産、安産の神の乙姫大明神、左に五穀豊穣、家業繁栄の神の天高稲荷大明神がある。両社とも詳しい建立時期は不詳であるが、乙姫大明神は保元の乱の戦功で平清盛が播磨守に任じられた時期の承安年間(1171年~1174年)に建立されたと伝わる。以来、村民は平清盛公に感謝し、ここを浦島伝説にちなみ「竜宮城」と呼び、村の守り神として崇拝してきた結果、今や「平清盛ゆかりの地」として広く知られるようになった。
一方、江戸時期後期に天高稲荷大明神がこの地に移り両社が合祀された。
2月の初牛の夕刻には、稲荷講の人たちによって焚かれる火の前に町民が集まり、五穀豊穣、商売繁盛の祈願が行われる。
両大明神の間には「安産杉」と呼ばれる安産祈願の幸せの株が今も残る。
平成24年10月
下畑町会

(2017:04:14 09:51:59, NIKON D810, F8.0, 1/125, ISO:140, 20mm, AF-S Nikkor 20mm f/1.8G, 撮影地, 潮位, 月齢:17.0, 中潮)
平清盛ゆかりの乙姫大明神
塩屋駅から川沿いに、旧神明道路下畑橋の下へ。「乙姫大明神」の額がかかる朱色の社殿が乙姫神社。背後の樹木が茂る巨岩を仰ぐ。自然に宿る鎮守社。ご祭神は豊玉姫神。承安年間(1171年~1175年)平清盛の建立と伝えられる。下畑の鯛取山で浦島太郎が鯛を釣り、その鯛を助けて竜宮城に行き、岩の上で100年目に、目を覚ましたという「竜宮城伝説」があると地元の人に聞く。伝説の由来は明石藩主松平忠国ともいわれる。
(絵と文 伊藤太一)
下畑町